会議の席に中国がいないことに最初に気付いたのは、日本だった。

「あれ、中国さんは…」
「あぁ、今日は欠席だって。何でも国の状況が悪いらしくてね。体調崩してるそうだよ。」
と、答えたのはアメリカだ。

それから、何の問題もなく、とは言えないが、いつものように会議は進んだ。
しかし、ふと気付けば本来中国がいるはずの席を眺めていることが多くて。
その日は会議以外は特に仕事もなかったので、会議が終わると、なんとなく気が向いて、その足で中国へ向かった。




「べべべ別にこれは見舞いとかじゃなくてだな!
たまたまこっちの方に用があったから、ついでに寄っただけだ!」
周りに誰かがいる訳でもないのに、言い訳じみた言葉を口にする。
それは果たして、誰に対する弁解だったのか。


中国の家に着いても、辺りは静まりかえっていた。
病気だからといって世話のものがいる訳ではないらしい。
国が倒れるほどの事態なのだ、よっぽど大変であろうことが予想できた。
何せ、国ならば誰でも経験するものだから。

玄関の扉を叩くが、案の定返事はない。
鍵がかかってるだろうと思いながらも一応扉に手をかけてみる。
すると、予想外に扉は簡単に開いた。


「危ないな…誰かが忍び込んだりしたらどうすんだ」
自分がその「誰か」であることなんて棚に上げて、そう呟く。
前回に中国の家に来たときは、居間に通されただけだった。それ以外に入ったことがあるのなんて随分前のことだ。
曖昧な記憶を手繰りながら、家の中を歩く。

そして、一つだけ扉が閉まっている部屋にたどり着いた。恐らく、ここが中国の寝室だろう。
先程と同じようにノックをするが、返事はない。

「…入るぞ?」
一応そう声をかけ、扉を開く。
中国はどうやら眠っているようだった。
普段とは違い髪を下ろした相手の姿に、ぼんやりと昔の記憶が蘇りかける。
と、相手の顔色が悪いのに気付く。具合が悪いのだから、当たり前なのかもしれない。
しかし、どこかうなされているように見える。

「中国?」

それは、相手に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。
しかし、たったその一言で相手は跳ね起きた。


「おい、中国。だいじょ…」
そんな相手の反応に驚きつつ、相手に近付く。
そして、気が付いたら、中国に手を伸ばしていた。

「英國?」
中国は最初はぼんやりとこちらを見ていただけだが、自分を認識するやいなや、その表情は厳しいものに変わった。

「何の用あるか」
普段より数段冷たい声と、ぱしんという小さな音が耳に届く。
伸ばした手が、叩き落とされたのだという事実に気付くのに、時間がかかった。
起こされたことで、機嫌が悪いのだろうか。
相手の態度に戸惑いを覚えつつ、質問に答える。

「いや、その…たっ、たまたま近くに来たから、見舞いに…」
「そんなの、必要ないある」
「え…?」

俯いた相手の口から、自分の言葉を遮るように紡がれたのは、拒絶の言葉。

「お前にそんなことしてもらう筋合いはないある。」
そして、中国はこちらを向いた。



「我は、どんなに時が経っても、お前を赦すつもりはないある」

その言葉と共に向けられたのは、射抜かれそうなほど鋭く、それだけで人を殺せそうな、視線。
それは、かつて数え切れないほど何度も、自分に向けられたものだった。
瞳の奥は怒りで燃え、一瞬獣のそれかと見紛うほどの、迫力で。
そのあまりの迫力に、思わず言葉が出てこなかった。

――獅子は、昔も、そして今も、眠ってなんかいない。
相も変わらずそこに存在している。



「…そんなの、分かってる」

やっと返した言葉は、自分でも驚くほど、情けない声だった。
許してもらえる、なんてそんな都合のいいことは考えていない。
原因を作ったのは、自分自身。
ただ、最近の彼との会話が、彼と過ごす時間が増えてきて。
自惚れかもしれないが、彼の表情が穏やかになってきた気がして。
許してもらえることはなくとも、もしかしたら、笑い合うことができるかもしれない、なんて勝手なことを思っていたのかもしれない。

でも、それは幻想でしかなかったと、彼の鋭い視線を受けて痛感する。

そして、過去を回想する。
ただ、自分の寂しさを埋めるために、荒んだ心を紛らわすために、必要以上に彼を傷つけボロボロにして。
それを許してもらえないなんて、初めから分かりきっていたことだ。

―なのに。
彼の言葉に、胸を締め付けられるような感覚を覚えるのは、どうしてだろう。
過去の自分の所業が、許せなくて。
できることなら、過去の自分を消し去りたいと思ってしまうのは、何故だろう。

この感情に、名前を付けるのなら。


(――哀しい?)


まさか。そんなこと、思う資格はない。そんなことは有り得ない。
有り得ない、筈なのに。
それを、心のどこかで肯定してしまいそうになる自分がいて。
震えだした唇を思わず噛み締め、逃げるように俯いて彼から視線を逸らす。

気まずい静寂が、辺りを包んだ。




「でも」
長い沈黙を破って発せられた彼の声に反応して、顔を上げる。
そこには、獅子はいなかった。
そこにあったのは。

「…お前も、昔のままじゃないあるな」
先程とは違う、柔らかな声色と、細められた目。

「…っ」
彼の言葉に。今度こそ、視界が滲んでいく。



許しては、くれない。それでも。
今の自分を、見てくれているというのか。
相手を傷つけた歴史の上に立っている、自分を。
人を傷つけることでしか生きて来れなかった、自分を。

そこで初めて、自身のことを考える。
いつも過去のことばかり言うのは彼であり、過去を見ているのは、彼のほうだと思っていた。
しかし、彼も変わろうとしている。


(過去に囚われてたのは、俺のほうかもしれないな…)


変わることを恐れ、現実を受け止めることを心のどこかで拒絶し続けてきた。
口にするのは昔のことばかりで、過去の栄光にしがみついて。
自嘲の笑いが込み上げてきて、思わず口許を手で覆う。
本当は、変わっていないのだ。何一つ。
臆病で卑怯で、人の痛みにも自分の痛みにも気付けなかった、あの頃と。

自分は見ることができるだろうか。
今の相手と、正面から向き合うことができるだろうか。
向き合うことで、昔痛感したあの感情に、再び直面してしまうのが、怖い。


一度目を閉じると、意を決し、改めて相手を正面から見据える。
そこにあったのは、変わらぬ強さを持ち続ける、大国の姿。
あぁ、やっぱり彼にはかなわない、ということを、改めて感じる。
それは、今も昔も変わらない感情。

本当は、その強さに。その優しさに。




――強く、焦がれていたんだ。







081009*水霸