アメリカが独立してから、すでに三十年近い月日が経とうとしている。
人間にとっては、生まれたばかりの人間が、一人前の社会人になってしまうほどの、長い時間。
しかし、国である自分にとっては、ほんの僅か、という程ではないが、それでも人間の感じるそれに比べれば、
かなり短い時間であった。

あの雨の日のことも、昨日のように思い出せた。
勿論、理由は生きている時間が長い、というそれだけではないだろうが、最近百数十年の記憶は、ひどく鮮明だった。
戦った日のことも、アメリカと一緒に過ごした、あの幸せな日々さえも。


なのに。
また再び、アメリカと戦う日が来るとは思わなかった。
そもそも元はといえば、フランスの大陸封鎖令が原因だというのに、何故自分がまたアメリカと戦わなくてはならなかったのだろうか。
考えれば考えるほど、苛立ちが募り気分は沈んでいく。
イギリスだけを経済的に孤立させよう、なんていかにもフランスが考えそうなことだった。
陸つづきの他のヨーロッパの国々と違い島国である自国は、貿易を封じられてしまえば、
戦争を続けていくのが困難になることは、火を見るより明らかだった。
…まぁ結局、フランスは大陸封鎖令によって経済が窮迫したヨーロッパの国々の反感を買い、非難され、
失脚してしまうのだが。
それもフランスらしいといえばフランスらしい幕の引き方だ。




やっとフランスとの長い戦いも終わり、多くの植民地も獲得することにもなったが、国内は疲弊しきっていた。
たて続けの戦争による、多大な出費。加えて産業の拡大による資本の消費。

要するに、金がないのだ。 自分も、日々のティータイムを満喫することさえ、ままならない状態だった。
本来なら、金がないのならその風習をやめてしまうべきなのだろう。
しかし、紅茶を飲む時間は、唯一の安らぎの時間だった。
紅茶を飲んでいるその間だけは、日々の喧騒を忘れ、ゆっくりと心を休めることができる。
だから、いくら金がなくとも、茶葉やティーセットを輸入するのをやめることはなかった。
そして、それは国民にとっても同様であった。

だが、そのせいで国内の資本が流出しているのだ。
流石に、国の財政も限界だった。ここで対応策を打ち出さなければ、きっと大変なことになってしまう。
そう思い、輸出入についての書類のファイルを探しに、棚に向かう。
目当てのファイルが見つかると、机にそれを起き、椅子に腰を下ろす。
何か、いい策はないだろうか。
考えを巡らしながら、書類をめくっていく。



その時。

「China」

一つの国の名が、目に留まる。
何故それが目についたのか、自分でもよく分からない。
ただ、あの揺らぎのない漆黒の瞳が、瞬間的に浮かんできて。


すぐに、それを打ち消すようにデータの方に目を移す。
自国は中国から大量の茶葉や陶磁器、絹を輸入している一方、輸出の方はといえば、
時計や望遠鏡といった高級品ばかりで、買う人は一部の金持ちだけであり、その量はごく僅かであった。
つまり、大幅な輸入超過なのだ。


中国は、国土も広く人口も多い。
もし、中国に大量に輸出できるものがあれば、自国の経済は好調へ転じるであろう。
そう考え、再び書類に目を通し、様々に思考を巡らせる。
暫くして、あるデータが目に入り、書類をめくる手を止める。
そして一枚の紙を抜き出すと、中国の書類の隣に置いた。



「イギリス、中国、そして…インド」

インド。イギリスの植民地であるそこでは、イギリスを介して中国と貿易が行われていた。
そこで輸出されてるものは様々だったが、その中に、量は僅かながら、確実に利益を上げているものがあった。
そして、その輸出量は、年を追うごとに、少しずつ増加していた。



――その商品は、阿片。
ケシの花からとれるそれは、かつては医薬品、特に麻酔として使用されていたが、現在は、麻薬の一種として認識され、広まっている。

現在のままでも、阿片からの収入は存在する。
しかし、今の阿片の輸出量の伸びを見ると、更なる広がりが、期待できる。
もっと量産して単価を安くし、品質を改良して、輸出量を増やす。
そうすればきっと、この状況は改善される。


「インドが栽培した阿片を、中国に輸出」

側に広げてあった世界地図に目を向け、物品の流れを指で追いながら、貿易の計画を立てる。
中国に輸出、といっても中国は阿片の輸入を法律で禁止している。
恐らく、密貿易になるだろう。
しかし、それを気にしている余裕などもはや存在しなかった。

「中国からは、銀を獲得」

阿片が輸出された分、銀はどんどんイギリスへ流出する筈だ。
そうすれば、国は潤う。


そこで、無意識のうちに、口の端がつり上がっていたのに気付いた。
しかし、それを抑える気は起こらず、そのまま立ち上がると、書類片手に部屋を出た。
自国の再興を、胸に描きながら。





その時は、気付かなかった。

自分のその行為が、どれだけの人間を傷つけるのか。
自国の繁栄と引き換えに、相手の国がどうなってしまうのか。
気付いたときには、既に遅く、もう後戻りのできないところまで来ていた。


最初は、金が欲しかった。
ただ、それだけだったのに。

ひたすらに自分のことばかり考えて。
アメリカがいなくなった寂しさを埋めたくて。
荒んだ心を、紛らわせたくて。





――正義なんて、見えなくなっていたんだ。















***




最初米英にも仏英にも見えるけど英中と言い張ってみる。
とりあえず、米や仏との戦いで、その頃の英はかなり荒んでたんですよ、ということを伝えたかったんです…!
あ、この頃の中国はChinaじゃなくてChingですが、呼び方については中国で統一しています。
一応、wikiで調べながら書きましたが、阿片輸出についての英の行動はいろいろフィクション含みますので、あしからず。

080129*水霸