自国の経済が不安定なのは、成長しようとしている証であり、歓迎すべきことだ。
しかし、それに伴って自身の体調も不安定になってしまう。問題が二、三重なっただけで、この有様だ。


「だりーある…」

寝室のベットに横になり、ぽつりと零す。
今日は会議だというのに、この状態ではとても行けそうになかった。
辺りはしんと静まり返っていた。
ただでさえ大変なときなのに、自分が倒れてしまったせいで、誰かに手間をかけさせる訳にはいかない。
看病よりも仕事をしてくれ、と言ったのは自分だというのに、何となく心細さを感じて。
こんな歳になってもそんな感情が沸いてくることに自嘲の笑いが込み上げてくる。

そんな思いを払拭するように、目を閉じた。
その時、瞼の裏に浮かんだのは。





夢を、見た。

赤く染まる視界。
傷だらけの国民。
傷だらけの自分。
そして、全てを嘲笑うように自分を見下ろす、翡翠色の瞳。
幾重にも重なって聞こえてくる国民の叫び、怨み、怒り、悲しみ。

――それは全て、忘れてはいけない感情。
永劫背負っていくと、自ら決めた感情。



「中国?」



急に耳に届いた声に、跳ね起きる。

「おい、中国、だいじょ…」
「英國?」
そこにいたのは、夢と同じ、翡翠色のひとみ。
先程までの夢が蘇り、伸ばされた手に嫌悪感が込み上げてきて。


「何の用あるか」
相手の全てを拒絶するように、その手を払い退ける。
同時に相手にぶつけた言葉は、自分で分かるほど、冷たい響きを持っていた。

「いや、その…たっ、たまたま近くに来たから、見舞いに…」
目を合わせずとも、相手が狼狽しているのを感じた。
相手と目を合わせる気なんて到底起きず、顔を伏せたまま、ありのままの言葉をぶつける。
「そんなの、必要ないある」
「え…?」


あの夢は、きっと戒め。
彼と過ごす時間を、彼自身を拒絶しなくなった自分への、国民からの怒り。
自身の憎しみが、風化しかけていることを、責めているのだろう。

忘れては、ならないのだ。
あの時、彼にされた仕打ちを。国民の苦しみを。
彼を、決して許してはならない。


「お前にそんなことしてもらう筋合いはないある。」
これ以上、近付く必要はない。馴れ合う必要など、ない。
頑なに拒絶の言葉を繰り返す。
そして、相手に視線を移す。



「我は、どんなに時が経っても、お前を赦すつもりはないある」

その言葉と共に睨み付ける。
それが何を指しているのかすぐに分かったのだろう、相手は、自分の言動に息を呑んだようだった。
しかし、相手だって理解している筈だ。
自分のしたことが、決して許されることではないことを。
だから、それは事実を述べただけにすぎない。


「…そんなの、分かってる」
ほら、やっぱり。相手だってそれを受け入れている。
しかし、目に入った表情は、酷く哀しそうで。



離れることを望んだのは自分。
自分の言ったことは、紛れも無い事実。

だったら、どうして。

辛そうな相手の顔が目に入った瞬間、胸が締め付けられるように感じるのだろう。
自分の言葉が原因なのに、相手の辛そうな表情が見てられなくて。
そんなかおを、させたくなくて。

目の前の人物と、夢の中の彼が、どうしても重ならない。
目の前にいるのは、確かにあの日の彼と、同じ人物。
しかし、その瞳は、決してあの日と同じではない。
そこには、光があって。感情があって。優しさが、あって。


彼を許さないことも、事実。
だが、彼と過ごす時間を心地よく感じていたことも、事実であって。



「でも」
気付いたら、勝手に口が動いていた。

「…お前も、昔のままじゃないあるな」

彼を許す日は、来ない。
だけど、目を閉じるあのとき、彼の顔が脳裏をよぎったのも、事実であって。

過去をなかったことにすることはできない。
相手の罪を、許すことはできない。
でも、人も、国も、変わることはできる。
相手を許すことができないからといって、相手の全てを拒絶しなければならない訳ではないのだ。
今だって、本当は。
――見舞いに来てくれたことが、嬉しかった。



もしかしたら、これはあの時共に戦った国民たちに対する、裏切りになってしまうのかもしれない。
それでも。
ありのままを伝えたかった。
できることなら、もう二度とあんな哀しそうな顔は、見たくなかった。

それに、全てを彼のせいにしてしまうことも、できない。
今振り返ってみれば、それ以前の自分の振る舞いにも問題はあったし、世界では弱者が搾取され強者が生き残るのは、常識だった。
全てを時代のせいにすることはできない。
でも、彼に全ての責任を押し付けるのも違う。
彼にも、時代にも、そして自分にも、原因はあるのだ。



ふと我に返り相手の方を見れば、相手は俯いて口を手で覆っていた。
一体どうしたのか、と尋ねようとした瞬間、相手が顔を上げた。
その真剣でまっすぐな瞳に、咄嗟に言葉が出なかった。

目を逸らすことができない。見つめ合ったまま、沈黙が流れた。



「…そ、その……」
気まずそうにイギリスが口を開いた。

「早く、元気になるといいな」
「…お前にそんなこと言われると気持ち悪いある」
「なっ…!」
折角俺が意を決して言ってやったのに、とか不満そうにぶつぶつ呟く相手を見て、思わず笑いが込み上げそうになる。



「英國、」
「…何だよ」
「謝々」

笑ってそう言えば、相手はばっと顔を背け、「別にお前のためじゃないんだからな!」と叫んだ。
髪の間から覗く耳が赤いのは、見間違いではないはずだ。
こらえきれず、クスクスと忍び笑いを零すと、相手は眉間に皺をよせてこちらを睨んだ。
しかし、顔が赤いままなので何の迫力もない。

「…何がおかしいんだよ」
「なんでもないある」
「…そうかよ」

相手の表情は納得していないようであったが、これ以上聞いても無駄だろうと悟ったのか、踵を返してドアへと向かった。
出ていく瞬間、「また、会議で」という言葉が聞き取れたのは奇跡のようなものだった。


相手の姿が見えなくなると、ベットに身を沈めた。
するとすぐに睡魔が襲ってきて、目を閉じる。


今度は、いい夢が見られそうだった。







081009*水霸