「何、だ……これ」
その部屋の扉を開けたイギリスは、そこに広がる光景に息を呑んだ。
「ああ、美しいだろう?」
雷文細工の装飾を施された肘掛椅子で寛ぐ彼は、イギリスの今の上司である。
彼は得意気に傍らのマホガニー・テーブルに鎮座した大皿に指を這わせた。
陶磁器の絵皿だ、幻想的な山水風景に蜘蛛の糸の橋が架かり、巻物の端からは猿が揺れる幻想郷。
部屋の隅には飾り付けられたデコパージュ、マントルピースの上には小さな仏塔が据えられている。
異邦の雑貨を寄せ集めた、ちぐはぐな部屋の状況に、イギリスはどう反応すべきか困惑してしまう。
「シノワズリ、というんだ」
「……シノワズリ?」
「中国趣味、だよ。素晴らしいと思わないか、この絵皿の洗練されたデザイン、神秘的な文様にユニークな色彩!」
それに幾らほどの大枚を叩いたのかと想像しただけで頭が痛くなってくる。
しかし上機嫌な上司は頭を抱えたいイギリスの様子には気付かない。
「お前、……中国に行かないか?」
「は」
「あの大国だ、仲良くしておいて損はないだろう」
この上司がなぜ中国と仲良くしておきたいと考えているのか、あまりに露骨すぎる。
「………それに、」
「え?」
「かの国には仙人が住むらしい。一目見たいとは思わんかね?」
仙人がいるという上司の言葉に、興味がなかった訳ではないが、丸ごと信じた訳でもない。
ただ、中国との国交を結ぶことには賛成であった。
何せ上司の言う通り大国、相手は自分にないものをたくさん持っている、特に茶や陶磁器の生産が盛んであると聞く。
産業革命の先駆けとなった自らの文明を自負する気持ちもあるから、よい貿易相手となれればいいと、――そう思ったのだ。
***
豪奢な宮殿の廊下をイギリスは進んでゆく。
イギリスの来訪をこの国の役人たちは快く思っていないようだった。
海禁政策の最中、イギリスも幾度となく追い返されやっと広州の港から入国ができた、その状況を考えれば当然のことかも知れない。
それでも、この国を開かせて見せる。まずは取り入っておこう。
気に入られておいて、よい関係を結んでおこうではないか。
前を歩く役人が、扉を開けた。
ここに、――中国が、いる。
目に入ったのは、あまりに若すぎる“国”の姿だった。
四千年ちかい時を生きてきた、神がこの地上に人間を作り給うた日より昔からこの世界にある、国。
それにしてはこの姿はあまりに若すぎる。
否――『かの地には仙人が住むらしい』上司の言葉を思い出す。
中国で描かれた絵画では仙人は老爺の姿で表されていた、しかし仙人が老いず死なぬと言うのなら、
この目の前の姿こそまさしく仙人ではあるまいか。
高まる鼓動を抑えるように、イギリスはゆっくりと呼吸した。
相手が大国と言えど、決して臆することはないのだ。
イギリスは口を開く。
「――俺はイギリス。ヨーロッパの、」
「跪くことも知らんあるか」
その言葉を遮り、中国のよく通る声がイギリスへと向けられる。
「え」
「西の何国だか知らんあるけどな、我に対して同じ目線で話そうなんて思うなあるよ」
見下してくる瞳、高圧的な態度。
イギリスはその姿に殴りかかりたくなる気持ちを必死で抑えた。
今ここで関係を壊してはならない。
耐えればいいのだ。耐えて、この相手に自分が如何に優れているかを見せつけてやる。
そうすれば、こいつだって態度を改めるに違いない。
イギリスは仕方なく膝を折る。
「跪礼じゃないある、叩頭するよろし」
底冷えするような声、膝をついたイギリスの目の前に中国は立ちはだかる。
そしておもむろにイギリスの金髪を鷲掴みにし、その頭を床へと押さえ込んだ。
一瞬イギリスの視界が白む。
その細い腕のどこにそんな力があるのかと思わせるような強さでイギリスの額は床へと押しつけられた。
「………ッ」
目の前には冷たい床、そこに額を擦り付けることを強いられる。
痛みと怒り、そして何よりも屈辱の感情が込み上げる。
どうしてこいつの前に俺が頭を下げなければならない。
俺が――
この、俺が。
「“中国”は世界の中心ある」
頭上からその声は降ってきた。
イギリスの頭を押さえ込む力は弛まない。
「中国は天下を統べるもの、すべてを支配するもの、」
中国の声は続ける。
「お前が何者であろうともお前は我の臣下に過ぎんあるよ。ひれ伏さんなど罷り通る訳がないある」
あまりに傲慢な言葉、中華思想の賜物であった。
中国こそが世界の中心、中国以外は何もかも中国の下につくものにすぎない。
「――ああ、それとも」
床に頭を押さえ込まれたイギリスに中国の表情は見えない。
しかし軽く喉を鳴らす音とともにその目を細めて嗤う様は見えたような気がした。
「お前も“中国”になるあるか?」
それは、侵略の意。
イギリスは髪を掴んだ中国の手をはね除けて面を上げる。
ふざけるな、そんなことをさせはしないと、
「ひれ伏せと、言ったはずあるよ」
その声に、反応すらできなかった。
跳ね除けたはずの手に再び頭を掴まれ、床へと打ちつけられる。
そのまま躙るように中国の手はイギリスの頭を押さえつけた。
力の差、頭を上げることが適わない。
「まったく、愚かあるね」
奥歯を噛み締める。
自らを力あるものと思っていた、しかし今、中国に抵抗することすらできない。
踏み躙る足に感じた痛みと屈辱をどこにぶつけよう。
吐き気が止まらない。怒りと、憎しみと。
力があったなら、更なる力を持てたなら――
そんな思いは、拳をただ握り締めることにしか変えられなかった。
***
「よう、どうしたよその顔」
へらへら笑いながら言うフランスをイギリスは睨みつけた。
額の大きな青痣はイギリスの前髪では隠れない。
「うるさい死ね」
「どこの誰だ、それ」
一瞬、フランスの顔から表情が消えた。
イギリスはフランスから目を逸らし、吐き捨てる。
「――中国だ」
「へえ、あの可愛い顔した仙人様?」
「会ったことあるのか」
「ま、うちの上司もシノワズリ大好きだからね」
フランスは困ったように笑う。その調子、表情はいつものフランスだ。
「可愛いになかなかやるじゃねーか」
「お前、何が言いたい」
イギリスは眉根に皺を寄せる。
「いや?」
フランスはイギリスの肩に腕を乗せた。
「そんなことされた坊っちゃん、お兄さんと手を組んであの仙人様を潰してやらないかって思っただけさ」
その言葉に、イギリスは唇を歪めた。
「その手、とってやろうじゃねえか」
***
清朝全盛期のおはなし。
中国さんとしては周りみんな臣下だからアジアだろうとヨーロッパだろうと頭下げなきゃ会ってやんない。
頭下げんの厭あるか? まあいいけど別に我はお前と貿易したいとかじゃないあるしー?
我と貿易したがってんのはお前の方だから我は何も困らんあるしー? そんな中国さん。
その態度が後々の阿片戦争を招く一因にもなったんだ、ってことを割と最近知ったので今までのと矛盾でるかも。
中国さんがあまりに酷かったので手直しした前のバージョン。
080402*檜扇